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2017年5月

2017/05/30

オペ前日

オペ前の最後の出勤日、金曜日であったが、
朝、会社へ行くと机の上に、同僚たちからの
贈り物とカードが置いてあった。

マグカップとか、チョコレート、本、天使のお守りなど
小さなものたちだったが、同僚たちの気持ちがうれしくて、
涙が出てしまったわ。

仕事の後、帰宅する時も「頑張って」と
しっかり抱きしめてくれて、ここ数日、かなり
ネガティブな考えに凝り固まっていたワタシは、
心がほぐれるとともに、無事に戻ってきて
この人たちともう一度一緒に仕事したい、と
切に願ったな。

その週末は、買い物と、家の中の大掃除。
戻ってきた時のために、最低限の食料と水
(とトイレットペーパー)は買い揃えて置かないとね。
二日間、なんだか時間が過ぎるのが遅くて、
本当に落ち着かなかったよ。

オペ前日の日曜日は気晴らしに、畑に出かけたわ。
今年は、この時期、野良仕事が出来ないので、
畑はほとんど放置することになるが、
一応、あちこちに花や野菜の種を撒いておいた。
苗作りは出来ないけど、運がよければ、
育ってくれるかも・・・。

今年もチューリップが綺麗に咲いてくれたわん。
4月の終わりだったので、もう最盛期は過ぎたながら、
最後の名残にと、写真を撮っておいた。

T01


T02


T03

こうやって、パチパチと写真を撮っていると、
近所の畑のモロッコ人兄ちゃんが通りかかって、
「チューリップと一緒に、君の写真も撮ったろか?」
と話しかけてきた。
このモロッコ兄ちゃんとは、種や苗の交換をしたり、ちょっと
世間話をしたりします。
とってもいい人で、野良仕事しながらも、どっか上品。
おフランス語を話すし・・・って、関係ないか。

でも、このお兄ちゃんが写真を撮ってやる、
なんて言って来たのは初めてでして、
有り難くワタシのスマホで写真を取って頂いたが、
その時ワタシの頭をよぎったのは、
「この写真がワタシの遺影になるのかも・・・」
という事でしたわ。

今でこそ、笑い話でござるが、その日のワタシは
それくらいナーバスでして。
その「遺影」候補の写真の中のワタシは、
すごく引きつった顔してるので、掲載は省略するぞ。

近所のヒッピーちゃんたちにも、畑の事をよろしくお願いし、
早く回復して、またここに野良仕事に来れる事を祈りながら、
ワタクシ、トボトボと岐路についたのであります。

夜は、入院のための荷造り。
何を持っていっていいか全然わからんので、
前回、病院の看護師さんに訊いたら、
「普通に旅行に持っていくようなもの」というかなり
アバウトな答えが返ってきたわ。

なので、周りの人の話を参考に、てきとーに荷造り。
後で分かったが、持って行ったもののほとんどが
不必要だったわ。
着替えなんてほとんどいらなかったし、何冊か持って行った
本も、ほとんど読めなかったし・・・。

繰り返すが、その夜、ワタシはすごくナーバスだった。
もう何にも考えたくないし、誰とも話したくない。
なので、夜は、電話にも出ず、すべて留守電まかせ。

例えば、彼氏さんのいとこさんからも留守電に励ましの言葉が。
「あなたのために、ろうそくに火を点して祈ってるわ」
って、気持ちは有り難いが、ちょっと重すぎます。
もっと、さらっと流して欲しい。

そして当然、その夜は、ほとんど眠れないまま、
朝を迎えてしまったのであります。

2017/05/29

オペまでの話 4

オペの約一週間前、もう一度病院を訪れた。

術前の最後の診察や麻酔医との面談等のためである。
そこで婦人科医の人からいろんな説明を受けた。
すごく親切な感じのいい女医さんでありました。

女医センセイは、手術の方法をかなり詳しく説明してくれた。
病院としてはちゃんと説明をして、患者の了解させなきゃ
いけないんだろうが、結構スプラッタな話でして、
さらに、オペに伴うリスクの話とかもあって、
ワタシとしては、あんまり聞きたくなかったな。
もう、何でもいいからお任せします、って感じだわさ。
とにかく、早く終わって欲しい。

帰り道、あと一週間か、という感想とともに、
あと一週間もこんな日々を過ごすのか、という絶望感で、
かなり落ち込んで、チョコレートのヤケ食いしちまったわ。


話は変わるが、手術前に、友人・知人・同僚たちから励ましや
お見舞いの言葉も頂き、非常に嬉しかったのも事実。
でも、自分でも意外だったのが、何人かの人が、
自分の叔母さんだの、知り合いの人だのが
同じ病気だったけど、どうだった、こうだったと言う
話をされる事が結構、嫌だったこと。
せっかく、励まそうとしているのに、ワタシのわがままだと
言うことは重々承知しております。

よく聞くのが、本人や家族が例えば癌になった時に、
周りの人に「私の親戚の人も癌だったけど、今は元気だ・・・」とかいう
話をされる事が非常に嫌だ、とかストレスになる、という話。
恐らく、自分が全く知らない人の又聞きの経験談を無責任に
される事が嫌なのかも。

ワタシのように、生命の危険の無い病気でも
これだけ負担になるのだから、命にかかわる大病の人に
軽はずみな慰めや助言等はしてはいけないものだと
思ったわ。

それと、インターネットやテレビからの知識を
話される事もかなりカンに触ったりした。
「子宮筋腫なんて手術しなくても小さくする方法が
あるらしいよ」とか。
では、あなたは実際にその経験をしたの?
とか聞きたくなってしまうワタシは、本当に
嫌な性格だと思うわね。

その一方で、非常に有り難かったのは、
「自分自身」のオペ体験や入院体験。
ある同僚は、病院に持って行くべきものや、
術後の静養期間のために、入院前に準備しておくべきもの、
さらに、術後の過ごし方等について、いろいろと助言してくれた。
オペや術後の経過は、かなり個人差があるとはいえ、
その人の経験談は本当に助かった。

そんないろんな感情が入り混じり、さらに激務のストレスと
疲れでクタクタになりながら、どうにか2ヶ月は過ぎて行ったとさ。

2017/05/27

オペまでの話 3

オペの日程は、センセイの提案よりも遅らせて、
2ヵ月後、つまり4月末にしてもらった。
2ヵ月もあれば、入院までに仕事の仕事の引継ぎも
ちゃんとできるだろうし。
この「充分時間を取る」という決断は、後になって
激しく後悔することになるのだが。

日程が決まると、看護師のお姉さんが来て、
いろんな書類をテキパキと用意し、
入院手続き等を説明してくれた。
とっても親切な感じのいいお姉さんだったな。

「じゃあ、当日は朝7時に病院に来てね」

朝7時って・・・。

ワタシはそれまで、オペと言うのは、前日から
お泊りするものだと思ってたわ。
ワタシは朝が弱いんだわよ・・・。

会社には、マネージャー様にはすぐに
事情を説明し、ワタシがいない間の仕事の
段取りの指示を仰いだ。

こちらの働く人たちは、産休、育休や病欠等による
長期の欠勤に対しては、非常に寛容であると思う。
マタハラなどというものは聞いた事がないし、
病欠の時も、抜けた人の穴埋めが大変なのは当然ながら、
病欠自体に対して文句を言う同僚もいない。
誰しもいつ病気になるか分からないし、人それぞれの
事情はあるもので、お互い様と言うところか。

またこちらでは、よっぽど親しい間柄で無い限り、
病名を聞かれることは無い。
これはプライベートでも同じで、病名をあからさまに尋ねないのが
社会的エチケットになっている。

もちろん、日頃一緒に仕事をしている同僚たちには
ちゃんと説明し、仕事の負担を強いることへの
お詫びはきちんとした。

もともと、ワタシは会社なんて、社員一人が抜けたところで、
どうにでもなるもんだと思っている。
「自分がいなきゃ会社が回っていかない」というのは、
百年に一人の逸材の方のセリフでありましょう。

ワタシの同僚たちはみんな経験もあるし優秀であるため、
テクニカルな面では、ワタシは全く心配していないし、
むしろ、ワタシじゃないほうが仕事がスムーズに
片付いたりするかも知れない。

問題は、弊社は万年的な人手不足なので、一人抜けると、
他の人への時間的負担がかなり大きくなると言う事。
実際、同僚のN子サンもワタシも、キャパが一杯どころか、
残業時間が半端では無い状態であります。

結局、マネージャー様が他の支店に声をかけて、
2つの支店の同僚たちがサポートしてくれる事に。

その時に知ったのだが、世の中には、
比較的ヒマな支店もあるようでして、
他の支店は同じ仕事をしている社員の数も多いし、
どうしてこんなに差が有るのかしらん。
上司殿、教えて下され。

さて、オペが決まってからの2ヶ月間はワタシにとって
いろんな意味で、非常に辛い日々でござった。

仕事上も、溜まった仕事をできるだけ片付けるべく、
今まで以上に残業と休日出勤の連続で、
若くないワタクシには体力的に限界でしたわ。
その合間に仕事の引継ぎもしたのだが、こちらも
同僚に時間が無かったり等の理由で思ったように進まず、
これもかなりのストレスとなった。

ま、ワタシはかなり早めに事情を話してあるので、それで
引継ぎができなかったら、もうワタシのせいじゃないわね。
と、開き直りの気分であったが、何か問題が出たときに
ワタシのせいにされたらたまらない。
そのため、ワタシにできることはすべてしたつもりである。

仕事の事以上にもっと辛かったのは精神面。

恐らく、医者にとっては全然複雑なオペでは無いだろうが、
オペというのは患者にとっては一大事。
今までオペなど受けたことの無いワタシにとっては、
人生の大きなイベント(?)であります。

最初は、あんまり深く考えなかったが、時間がたつにつれて
どんどん怖くなり、オペを決心した事を激しく後悔した。
2ヵ月あれば、心の準備も出来るだろう、などと思っていたが、
こう言う場合は、心の準備なんてすべきじゃないのである。
ドサクサにまぎれて、ワケが分からないままに、さっさと
済ませてしまうべきであります。

また、よせばいいのに、いろんな経験談を集めようと、
インターネットのフォーラム等を読みまくってしまった。
だいたい、ネットのフォーラムに書く人と言うのは、
「特別」な体験をした人たちや、自分が受けたオペが
いかに大変だったかをアピールしたい人たちが多い。

なので、そこでワタシが読んだ体験談のほとんどが
ネガティブなものでありました。
合併症とか、再手術、術後の経過が悪くて再入院など。
ワタシはますます不安になったのであった。
今思えば、何事も無く無事にすんだ人たちは、
フォーラムなどには書かないものなのだが。

しかも、たまたまその時に読んでいたミステリー小説に
「妻が手術の際の麻酔のアレルギーのために死んだ」などと言う
場面まで出てきて、ますます怖くなってしまった。

心の準備をするために取った2ヶ月間、
結局、ワタシはますます心を乱されたまま、
2ヶ月を過ごしてしまったのでありました。

2017/05/24

オペまでの話 2

さて、ワタクシ、今年の2月末に、その総合病院に
行ってきましたです。

こちらでは、よっぽど緊急でない限り、病気の場合は
開業医のところに行き、病院には外来であっても、
開業医からの紹介状をもらって行く。
そのため、病院というのは、めったに行かないんで、
入り口を入るだけで、とっても緊張いたしますよ。

その病院は、ウチから市電で約20分くらい、と近い。
しかし、その朝に限って、事故で市電が止まっていた。
非常にあせったが、幸い、余裕を持って家を出ていたので、
途中まで別の路線で行き、そこから早足で歩き、
どうにか時間ギリギリにたどり着いた。
診察前にすでにコケたか、とワタシはその時、
とってもいや~な予感がいたしましたよ。

そのワタシの心配は無用だってようで、
現われたセンセイは、若いながらも、一見して
「この人はデキる」と思わせるオーラを
漂わせていたわ。
難を言えば、ほとんど笑わない超マジメ面。
もう少しニコニコしてくれれば、
その場も和むのにねえ。
でも、センセイがあんまりヘラヘラしてたら、
かえって信用を無くすかしらん。

さて、そのデキるセンセイの話を要約すると、
かなり大きい筋腫が複数あるため、子宮摘出オペしか
方法は無く、他臓器を圧迫しているため、
身体もつらいだろうから、できるだけ早く、
オペをした方がいいと。

この専門センターでは、患者の年齢や症状にもよるが、
できるだけ子宮を残して筋腫だけを除去する方針を
取っているらしい。

しかし、私のケースではそれも不可能とか。
ずっとかかっていた婦人科医が、筋腫が小さいうちに
オペを薦めていてくれたら、違う結果になっていたかも、
という気持ちは否めない。

出産年齢をとっくに過ぎたワタシには、理論的には
子宮はもう用の無い臓器とはいえるし、
今までかかった医者の中には、はっきりとそういった
無神経な発言をした男性医師もいた。

しかし、ワタシが思うには、人間が持って生まれた身体には、
機能にかかわらず、不必要な臓器など無いと思う。
すべての臓器はつながっていて、血液を通して
エネルギーが循環している。
そのエネルギーの道をオペで切断するというのは
決して自然な形では無いと思う。
医学的には、全く別の考えがあるだろうが。

それでも、ワタシはその場でオペを受ける決心をした。
デキるセンセイも、身体が辛い思いをしているのだから、、
体力のある今、オペを受けて今後の人生を
楽に過ごしたほうがいいと。

このセンセイ、愛想は決して良くなかったが、
大事なことを淡々と簡潔に説明してくれて、
患者としては、余計なことをべらべら話されたり、
不要な同情などをされるよりは、ずっと楽であった。

こうして、ワタシは15年以上抱えていた
「持病」のオペを受けることになりました。

2017/05/22

オペまでの話 1

ワタクシ、毎日、ほとんど何にもせずに、
のんびり怠惰に過ごしておりますが、
それでも、ちゃんと時間が過ぎて行く、
何だか不思議ですな。

それはともかく、ワタクシがオペを受けたのは、
子宮筋腫のためであります。
(命にかかわる大病を想像していた方、すみません)

子宮筋腫というのは、命にかかわる病気ありませんで、
豆粒のような小さいものも含めれば、かなりの割合で
女性は持っているという統計もあり、現在は、
本人に苦痛が無ければ、特に除去する必要は無い、
という見解が主流のようです。

詳細は省きますが、ワタクシの場合、非常に苦痛が
あった訳でございまして。

最初に、婦人科医に指摘されたのが、もう15年前。
その後いろいろあって、担当婦人科医は、
何度か変えたが、最後にかかっていた医者は、、
具体的な助言は(除去するべきかどうか等)
何も与えてくれなかった。

そうこうしているうちに、いろんな症状が出てきて、
例えば、下腹部を押さえるとかなり痛い、
座るとおなかに違和感がある、
つまり、外から触っても分かるくらいに
筋腫が大きく成長していたのであります。

さらに、筋腫が原因かは不明ながら、
恒久的な腰痛に悩まされており、これがきっかけで、
彼氏さんの提案で(彼も医者です)、
昨年、他の婦人科医に相談をいたしまして・・・。

その婦人科のお医者さん、きっと腕は悪くないんだろうけど、
今ひとつ、分かり合えなかった、というか、
ワタシにとってはあまり感じのいい人ではなかったな。

いずれにしても、彼が言うには、筋腫が大きくなり過ぎて、
他の臓器にも負担になっている可能性があるので、
すぐに手術をするよう、勧められましたわ。

しかし、急を要する病気ではないんで、
オペしろ、と言われても、わかりました、と
すぐに結論出せるわけじゃなく。
やっぱし、身体を切ったり貼ったりって、
ワタシも怖いですよ。
かといってしばらく考えても、どーしよー・・・
とうろたえるばっかりで、何の結論も出ないまま、
数ヶ月が過ぎてしまったのであったよ。

そんな中、彼氏さんがのたまった。
「ここは、セカンド・オピニオンを聞くしかないな」。

彼氏さんがいろいろ調べてくれた結果、
ワタシが住む町の某総合病院に、
子宮筋腫を集中的に取り扱っているセンターが
あるとの事で、早速、そこにアポを取ってもらった。
早速といっても、やはり人気が有るのか、
取れたアポは3ヵ月後。
それが今年の2月末でござった。

2017/05/21

休職中の今

あら、今月は、もう何回もブログを更新してますわ。
半年以上も放置してたのにねえ。
やれば、できるではないの。

・・・いえ、やれば出来ると言うより、ヒマなもので。

前にも書いたように、現在まだ、手術後の
静養期間でして、休職中でござります。

ここに何度も愚痴っているように、ワタクシ、
今まで非常な激務でございまして、
毎日の労働時間は、平均10時間以上。
さらに、週末も時々出社したり、家で仕事したり。

そういう生活が普通だったもので、
毎日の生活から突然、仕事と言うものが無くなると、
時間をもてあましてしまうのは仕方ないわな。

退屈とはいえ、休職の理由が自宅療養なんで、
遊びまわるわけにも行かず(と言うか、出来ない)、
今は、体調を一日も早く元に戻す事ために
とにかく無理はしないことにしている。

振り返ってみると、今までの人生で、こんなに
怠けて暮らしたことなんて無かったかも。
ずっと長い間、必死で働いてきたんで、神様が
人生で初めての長期休暇を下さったのかしらん。

・・・とここは、ワタクシ、ポジティブに考えております。
スマホで会社のメールも読めてしまうし、
その気になれば、仕事をすることも出来るが、
仕事は、自分からは一切いたさない事にしております。

自分からは、と言うのは、同僚から何回も
電話がかかって来るんで、その時は手伝う
わけでありますが。
皆様にもご迷惑かけているわけだし。

のんびり過ごしている一方で、そろそろ
社会復帰の準備もせねばならん。
と思ってはいるのだが、
肝心の体調は、自分が思ったよりもずっと
回復が遅いと言うのが実情。
歳のせいか、個人差なのかは分からないが、
回復速度は、人によって全く違うらしい。

ワタシの場合、まだ時間がかかりそうなもんで、
つまり、まだしばらくヒマな毎日になりそうなもんで、
自分の入院、手術体験等を少しずつ
ここに書いていこうかと思っております。

おヒマな方は、どうぞしばらくお付き合いくだされ。

2017/05/19

母の事

ここにも以前に書いたかと思うが、
私の母は、認知症を患っており、
もう何年も施設のお世話になっている。

認知症の発病も70代後半と早かったが、
その後の進行も早く、今は、誰のことも分からず、
ほとんど寝たきりの状態である。

幸い、良いケア・マネージャーさんにお世話して頂き、
さらに、良い施設に入れてもらうことも出来て、
家族としては、そこでの対応にも非常に満足している。

その母であるが、入院が長引くにつれて、体力も落ち、
だんだんと食べることに困難が生じてきている。
本人は何の意思表示もしないながらも、
生きることを放棄し始めているのかも知れない。

昨年から、何も食べない日が何度かあり、
担当医の同席の下、施設の人と家族で、
今後についての話し合いもした。
何かあったときに、いわゆる「延命治療」を
するかどうか等について。

本人の意思を確かめる事が出来ない以上、
家族が決めるしかないのだが、非常に
難しい決心であった。

ちょうど、私の入院の1週間前、母の体調が
急に悪くなり、施設から救急病院に搬送された。
施設の人からも「覚悟しておいてください」と
言われた。

私自身、自分の手術を前にしていたが、
全部キャンセルして、日本へ行く事も考えた。
今、オペを受けてしまうと、しばらくは動けない。
もし、母に何かがあった場合、それこそ、
スーツケースを持って日本へ行くなんて
とても無理である。
最悪、お葬式にも出られない。

自分の医者とも話し、姉や周りの人とも相談した結果、
皆の一致した意見は、
「今は、自分の事をまず第一に考えろ」
であった。

確かに、手術が決まってからというもの、
精神的にも仕事面でも、準備のために
大変な負担の毎日であった。
それをまたやり直すなんて、とても無理な気がする。
考えに考えた末、母には申し訳ないが、
今回は、自分を優先させることにした。

そうこうするうちに、母の容態は持ち直し、
今は、施設に戻って少し落ち着いている。

ふと自分の人生を振り返るに、若い頃から、
母には、とにかくいろんな局面で振り回されてきた。
母の病気のために、自分の大事な計画を
断念せねばならなかった事もある。
あの事が無ければ、自分は全く違う人生を
送っていたんではないかと思う出来事も、
いくつもある。

自分の人生は自分が作っていくものであるので、
今更、母のせいにすることは無いのだが、
今回、いろんな事を思い出してしまったな。

一つだけいえるのは、今回は自分の事を優先して、
予定通りオペを受けて良かった、ということかな。

2017/05/17

ちょっと不愉快な内容かも

滑ってコケた話の続きですが・・・。

ほぼ三日間寝たきりだったもんで、会社も
当然、一日病欠するハメになり、
腰の痛みも辛かったが、それよりも、
欠勤の理由が恥ずかしかったわね。

同僚やマネージャー様は、「大丈夫~?」とか
「大変だったね~」とか口では言ってくれたものの、
顔にはしっかり「バカ」と書いてあったわ。
これ、被害妄想かしらん。

年初にコケたのって、気分的にはかなり
尾を引くもんでして、その後も何かあるたびに、
やっぱり、年明け早々、コケたからなあ・・・
とか思い出してしまうものであります。


さて、ちょうど滑ってコケたのと同じ頃、
さらに不愉快な出来事が起こった。

この出来事は、人間関係でありまして、
未だに解決しておらず、一事は、弁護士に
相談しようかと思ったほど。
未だに、ちゃんと解決はしていないのだが、
ワタシとしては、あまりにもバカバカしくて、
争う気にもなれなかった、というところか。

相手は、日本人の女であり、狙いは、
カネであった。
しかも、その人物が、すごく若い人とか、
見るからにいかにも危ない世界の人、
というならまだ仕方ないか、とも思えるが、
一見、普通の人、歳は60歳くらい。
しかも、日本では大企業と言われている会社の
こちらの支店で働いている。

ワタシも周りの事情に詳しい人達に相談したが、
みんな、怒ると言うより、その女の非常識さ、
厚顔無恥さに呆れ返った。
もちろん、法的手段に訴えたら勝てると言う
確信はあったが、そんな女のために使う
時間と労力が惜しくなってきてしまった。

さらに、私自身の入院・手術が決まって、
そんな事で悩むより、自分の事に集中するべきだし、
結局、かなりワタシのほうで譲歩した。
つまり、言葉は悪いが、口に札束を突っ込んで黙らせる
事にした。

少し悔しい気持ちもあるが、そういう話題が出れば、
私は実名でこの話を友人・知人たちにすると思う。

その女これから一生、「非常識な踏み倒し」をした、
という評判をこの街の狭い日本人社会で
追っていけばいいと思う。

匿名とはいえ、まだネットでこの話をする時期では
無いと思うので、今のところ詳細は控えるが、
数年後に、まだこのブログが存在したら、
すべて書くかもしれないなあ。

今日の記事、後で消すかも知れません。
読んで不快になった方がいたらごめんなさい

2017/05/14

年明け早々の出来事

2017年になってまもなくの事、正確には、
1月7日土曜日だったが、その日は、
雪こそ降らなかったものの寒い日だったわ。

しばらく比較的暖かい日が続いた後で、
急に氷点下に冷え込んだせいで、ワタシが住んでいる
地域は、どこも道路が凍っていて、TVでもラジオでも
注意を呼びかけていたんだな。

それにもかかわらず、アウトバーンや街中では、
あちこちでスリップによる事故が起こったそうな。

ワタシはその日、町にお買い物に出かけた。
確かに、道は一部、霜でツルツルに凍っていたが、
気をつけてゆっくり歩けば、こける事も無い。

買い物をして、ついでにドラッグストアで買った
トイレットペーパーを抱きかかえて、
ワタシは何事も無く、家に帰った。

ラジオによると、車の事故だけでなく、歩行者も
道で滑って、救急車で搬送された人もいるとか。
やっぱり、これだけ注意を呼びかけていても、
滑ってこける人もいるんだわね。
・・・と、ワタシは思った。

その後、ワタシはもう一度、近くのスーパーマーケットに
買い物に行くために、家を出た。
これが、間違いのもとであったのであります。

ワタシが住む建物の玄関には、階段が3段ほど
ございます。
玄関のドアを開けて、その階段に足を踏み入れたとたん、
ワタシはツルリと滑って宙を舞い、階段の下に腰から
着地してしまったのであります。

そう、階段がツルツルに凍っておりまして、
しかも、階段は白っぽい色で、凍っているなんて
全く見えなかったのだわ。
雪でも降っていたら、もっと気をつけたのだが・・・。

本来なら、家の前の道、および階段は、雪や霜の際、
地上階の住民が砂や細かい砂利等をまいて、
通行人がすべるのを防ぐ義務があります。
しかし、我が愛すべき隣人は、それをしていなかった。

でも、その時はそんな事はどーでも良く、
ワタシは、腰を打って起き上がれるまでに5分ほど、
空を眺めて倒れているハメになったのであった。

買い物に行っている場合ではなく、それこそ
這うようにして階段を上り、やっとの思いで
自分の部屋に戻りましたです。

その日のニュースによると、ワタシと同じ目にあった人は、
街中で200人以上いたらしく、骨を折ってかなり重傷の
方もいらっしゃったとか。
「凍った道を歩くときは、ゆっくりとペンギン歩きをしましょう」
などとテレビで言っておったが、今更言われても
遅いわよねえ。

次の日曜日、痛みが引かないので、病院の
救急外来にタクシーで行ったものの、
その日は、ワタシのようなアホな人たちで満員。
医者も、またか、と言う感じで、ほとんどちゃんと
見てもくれず、薬だけ処方されて帰されてしまったよ。
病院の救急外来なんて、こんなものですかね。

いずれにしても、痛みが引くまで約三日間、
ワタシはほとんど寝たきりでして・・・。

その時に思ったのが、些細なことですが、
こける前にトイレットペーパーを買っておいて
よかった~、と言うことでしたわ。
食べ物なんて、冷蔵庫とか戸棚に何かしらあるので、
三日ぐらいどうにでもなるもんです。
しかし、トイレットペーパーと言うのは、
冷蔵庫に買い置きがあるわけも無く・・・。

これからは、余裕を持って買い置きをしておこうと
誓った次第でござるよ。

いずれにしても、年明け早々、しっかりコケたワタシ。
その時、これは、なんだか今年一年の運命を
暗示しているのではないか、といや~な予感が
したのであります。

宝くじとワタシの予感は、めったに当たらないのでございますが、
この予感ばかりは、かなりあたってしまったのであるよ。

2017/05/11

久々の近況報告

お久しぶりでござりまする。

いやはや、半年以上も放置してたようで、
もう、久しぶりなんてもんじゃないですな。
ま、ここまで放置してると、今更、読んでくれる人も
いないだろうが、皆様におきましては、
お元気にお過ごしでございましょうか?

ワタクシ、相変わらずの生活です、と
言いたいところでござるが、今年に入ってから
いろんな事がありまして・・・。

思えば、去年は年明け早々、父が他界し、
それ以外でもあまり良い年ではなかったため、
今年は、いい年になるように、と願っておりました。

しかし、そのワタクシの願いもむなしく、
厄年か、それとも、よっぽど日頃の行いが悪いのか、
と思ったほど、年初から立て続けにネガティブな事ばかりが
続きましたんですわ。

現状から申し上げますと、現在、手術を受けた後の
療養中の身の上でございます。

命にかかわる病気では無いし、経過は良かったので
一安心と言えるのではありますが、やはり
オペなど受けずに一生を終えられれば、
それに越したことは無いわけでございます。
何事も経験、なんて事は、病気には当てはまりません。

さて、退院後は4週間の安静を言い渡されたので、
現在、彼氏さんの住むド田舎で静養中。
静かだし、空気は良いし、ゆっくりと静養するには
理想的な環境ではあります。
最初の週は、歩くのもやっとで、寝たり起きたりの
繰り返しでありましたが、身体が回復してくると、
今度はだんだんと退屈になって参りました。

静養には良い環境とはいえ、
ド田舎というのは、歩いて行けるところに
娯楽が無いわけでありますな。

体力が回復してきたとはいえ、まだまだ
重いものは持てない、
運動も掃除も禁止、となると、毎日ヒマです。

ようやく、ある程度の時間、集中して
座って何かが出来るようになってきたので、
放置ブログを復活させてみることにしたんだわ。
この厄年まがいの2017年を振り返ってみようかと。

現在休職中でのため、仕事のストレスも無いし、
気が向いたたときに、少しずつ書いて行きますかね。
頭がボーっとしてますが、仕事再開へ向けての
リハビリにはなるかしらねえ。

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